kuronekononikki’s blog

軽度知的障害にASD(自閉スペクトラム)を抱えながら元気に生きる血反吐blog。

4年勤めたお店。閉店するまで。

今回は前回の障害について書いた記事で少しだけ書いたヤクザみたいな店長がいたお店。僕が4年勤めたそんな飲食店での仕事内容と、閉店するまでのお話しを書いていきたいと思います!

 

接客業(飲食店)のお仕事!

・席へのご案内

・注文を承る

・料理を運ぶ

・空いた席の片付け

・会計と電話等で予約承り(最後はレジ締め)

・お弁当の配達(運転免許必須)

・トイレ点検・各自担当エリアの清掃など

 

僕が勤めた飲食店は兎に角忙しい店でした。お店自体朝から夜までずっと営業だったので、休憩はあるものの、お客様が入ったら休憩は無し。そのまま夜まで働く事もありました(笑)

シフトに関しても、休みを早めに希望すれば休みにはして貰えましたが、結局電話がきて出勤になる事も。まぁ、その分稼ぎは良かったです。

 

僕の所は、夜は居酒屋に変わるお店だったので、当然メニュー内容も変わります。最初は昼だけ働いていましたが、夜も出る様になってからは、お酒作りや宴会場を任されるなど、業務は増えました。覚える事があり過ぎて大変でした。クレーム対応もありますし、トイレが詰まったり誰かが吐いた後の処理など休む暇がありません。自分でも良くやっていたなと思います。

 

臨機応変を求められる仕事は僕には向いていませんでしたが、それでも4年勤められたのは一緒に働いてくれていた仲間の存在が大きいと思います。特に仲良くして下さった方が二人程(先輩達からは嫌われていたので辛かった)居て、僕の事を良く理解してくれました。このお二人とは今でも連絡を取り合っています。本当に助けられました。

 

何度も辞めようと考えていました。店長はヤクザみたいに怖い人だし、ミスすれば叩かれたり罵声されるし、忙しくなると皆苛々して、怒声が飛び交う職場。精神的ダメージは大きかった。車の中で泣いた日もありました。

 

それでも僕は辞めませんでした。負けたくない気持ちもありましたが、一番は店長の存在でした。ヤクザみたいに怖かった店長。嫌いだったけど一番疲れているのは間違いなく店長でした。明らかに顔色が悪いし、体調が悪そうなのが見て分かる程でした。そんな店長を見て、いつか倒れるのでは…そう思っていました。

 

その日は遂にやって来ました。確か睡眠障害?か何かで店長が出られなくなり、別の方が店長としてやってきたのです。休んでいる所を見なかったので当然の結果と言えばそうかもしれません。然し、この店長は店に戻ってくる結果となってしまいます。何故なら…

 

新しい店長が飲食店経験のない全くの素人だったからです。

 

体力も続かず、経営はどんどん悪化。結果、前の店長に連絡が行き、戻ってくる事になりました。

戻ってきた店長はまるで別人でした。元々細かったけど更に痩せた様でした。この時の姿は、癌で父を失った僕にとって、病院で痩せ細った父の姿と重なりました。それから、お店が閉店する事に決まり、従業員達は次々に辞めていきました。

僕も辞めるべきか悩んでいました。早く次の場所を探さなければならない。でも、あんなに弱っている店長を置いて、辞める事が出来なかった僕は最後まで残る事に決めました。

残る理由にはもう一つありました。前に、自分の父が癌で亡くなった事を店長に話した事があります。すると店長は

 

「なら俺がお前の親父代わりだ」

 

と言ってくれたんです。この時まだ父の死を受け入れるのが難しかった僕にとって、この言葉は何よりも嬉しいものでした。だからこそ、僕は店長と最後まで仕事する事に決めました。

最後まで残る事を仲の良い仕事仲間の二人に伝えると、二人も協力してくれました。そうして、僕が4年勤めたお店は、閉店するのでした。

 

特に難しく感じたのは宴会やお酒作りかな。宴会の状況を見ながら料理を出すタイミングを見極めないといけなかったし、お酒の量をきちっと入れないと濃過ぎたり薄かったりしてお客様から作り直しを言われたりします。勿論量を簡単に測れる物はありましたが、忙しいと出す事が最優先になってしまうので手元が狂いがちです。質より数をこなす感じでした。

 

もう10年以上前の事ですが楽しくもあり辛いお仕事でした。ただ僕はもう、接客業はしません(笑)

最後まで見てくれてありがとう!さよなら!!